先生になり損ねたなあ。
小学校時代は先生になりたかった。妹を相手に壁にロウセキ(なつかしいなぁ)で授業のまねごとをした。実習は中学校だった。小学校の先生は低学年は体育も指導し、運動会では走らされるという印象で避けたのだ。でも資格をとっただけで中学校の先生にもならなかった。私が中学生の頃は校内暴力最盛期で、窓ガラスは割れ、授業中は3階にも関わらず自転車が走り回り、中庭で爆竹がなるという時代。それほど先生という職業に興味を感じなくなっていたのかもしれない。とにかく資格だけはとっとこうかと...。
旅行業には憧れたなぁ、ご多分にもれず...。
どちらかというと世話好きなタチなので向いていたかもしれない。学生時代それに似たような仕事をしていてスカウトされたこともあった。当時それを本気にしなかったので今がある。バブルな時代のことである。
留学もしてみたかった。
資料ぐらいは取り寄せた気もする。でも隣にすむリューマチの叔母が乳がんになってしまい、タイミングを逃してしまった。本当はいろいろと面倒で金銭的にも無理があったような記憶があるので、それを言い訳にしているのかもしれない。

今こうしてアメリカに来ているということ、それはある意味とても楽しみだったし貴重な体験だと言えるだろう。念願かなったと言えなくもない。でも、本当は私はいろいろなことから『逃げてきた』という気がしている。莫大な個人の借金を残して亡くなった父のこと、親戚間の確執、その他もろもろ。遠く離れて客観的に見ることができればすんなりと対処できるような気もしていた。だが所詮私は逃げてきたのだ。遠く離れて関わらなくてすむとなるとすべて後回しである。そうやって後回しにしてきたことで、さらに連絡がとりにくくなってしまう悪循環。
逃げてきた自分を認識することで何か変わらないかと、この期におよんでまだ他力本願に願う私である。