自分の意見

昨日はESLで宿題が出ていた。『オレゴンに続いてカリフォルニアでも尊厳死安楽死)が認められるのではないか』、という新聞の記事に目を通して自分の意見を考えること。授業では深く取り上げられることはなかったが、『カリフォルニアで76才の囚人に対して死刑が執行された』、という話題も先生は取り上げたかったようである。でも先生の思惑に反して、そこで議論が白熱することはまずない。


実際に死刑執行されたのは月曜日だったと思う。というのは、Martin Luther KingのイベントにSan Joseに出かけた際、死刑反対のプラカードを掲げた2、3人のグループがいたからだ。ロウソクを掲げた人もいたので、今から思えばお弔いの意味もあったのだろう。死刑は執行されるたびに賛否両論の議論が起こる。が、正直今まで「自分はどう思うか」などと考えたことはなかった。執行されたという事実だけをストンと受け止めているのだ。正しい行為か否かの判定は我々の範疇を超える。多分人間では裁定できない事柄だと思う。でも「自分は」反対なのだろうか?賛成なのだろうか?尊厳死についてはどうなのだろう?私は反対なのだろうか、賛成なのだろうか?なぜそう思うのだろうか?考えたことがなかったので、考え方がわからない。


もっと簡単なところで、英語を学習するには動機、熱意、積極性(Riskを伴う)が重要だということで、どこをゴールにするかにもよるがマスターの期間もまちまちである。では動機はなに?と問われてしばし考える。ふむ。動機なんて考えたことはなかったなぁ。少なくとも京都で仕事する中で、スムーズな意思疎通がはかれないもどかしさを感じていたことはあった。もっと話したいことがあるのに伝わらないいらだちがあった。自分がメイルで使う英語に自信がなかった。「だから」。でもこれが動機と言えるのだろうか。最初から終わりが見えていた滞在期間なので、この恵まれた環境を活かすべく、右も左もよくわからないうちから積極的に学ぼうとしていたとは思う。あちらこちらで見聞きすることで世界を広げたいとも思っていた。多少はいろいろ思うこともあった。でもこの後日本に帰ったらどうなるのだろう?どうしたいのだろう?維持できるのだろうか?少しは今の状態から発展するのだろうか?


英語で自分の意見を発言する以前の問題として、自分の意見を持つことの難しさを痛感した今日である。


ちなみに、今日の授業では尊厳死についてのテーマ討論はなかったのであしからず。